私たちについて
作り手とともに事業を創る
EARMINDを運営する株式会社EBRUは、金沢美術工芸大学の工芸科を卒業した3名で運営されています。
大学時代から多様な工芸技術を用いたアートユニット「EbRu」としても活動をしてきた3名は、大学卒業後、一度は進学や就職でファッション、特殊メイク、陶磁器という別々の分野で経験を積みます。各現場で、市場の縮小や後継者不足、さらに素晴らしいものづくりをしているにも関わらず、作り手に利益が還元されない厳しい現実を目の当たりにした3名は、再び集結し「株式会社EBRU」を創業しました。
自らもものづくりの現場で働き、美術工芸に慣れしたんだ経験を活かし、作り手とユーザーの視点を繋ぐことで、持続可能な製品開発を行います。
3人の共同創業者
2021年の会社設立時から対等な関係での3人での共同創業という、前例の少ない形式を取った株式会社EBRU。文化芸術を愛し、同じ想いを持った3名が、上下の関係に囚われることなく事業を推し進めるために起業をしました。
The world is marbling
「世界をマーブリングする」学生時代からトルコの伝統技法であるマーブリングを軸に、様々な色や素材を組み合わせて制作活動をしていた3名。技法であったマーブリングを「多様な文化を交ぜ合わせ、新たな価値を作る」と再定義し事業運営を行っています。
佐藤 怜
Sato Rei
Founder
1991年、岩手県生まれ
2017年に金沢美術工芸大学工芸科染織コース卒業
2018年 Accademia Costume e Moda MA Accsessories 卒業
好きなもの・影響を受けたもの
美術工芸関係者など:グスタフ・ヴィーゲラン・船越桂・北村武資・荒俣宏・都築響一・養老孟司
技法様式 :金唐革、羅織り、グロテスク様式
収集してる物:裂地、ボタン、本、紙
本 屋 :古書音羽館、よみた屋、ボヘミアンズギルド
時 代 :1800年代末-1900年代初期
音 楽 :Hiatus Kaiyote 、Rei Harakami、KRAFTWERK
--どんな子供時代だった?
保育園時代はひとりで絵を描いて遊ぶ。それを見た保育園の先生やおばあちゃんが褒めてくれたのを機に、絵を描くとみんなが喜んでくれることを知り、これしかない!とのめり込む。運動は全くダメ、でも美術だけは誰にも負けないと小学校時代は描きまくる日々。アメコミに傾倒。緑色のネズミ、Rat Finkが大好き。作者のEd Rothにハマり模写をする。時を同じくして、田舎の本屋さんでFashion pressなる物を発見。なんだこの面白い世界はとファッションにも傾倒する。小学校時代は三つ編み・オーバーオール・迷彩柄が大好きな少女だった。小学校の卒業アルバムには、将来の夢はデザイナー。
--学生時代の想い出
そんな小学生時代を経て、中学では美術部に所属しながら、ファッションに傾倒しつつ、美術室で出会ったAndy Warholの本から、アメリカンポップアートへ。並行してデザイナーズブランドの興味を深掘る。ファッションデザイナーになりたかったため、先に絵を描ける様にならねばと、高校は美術を学べる高校を希望するも高校受験にデッサンがあることを知り、デッサンしまくる日々。岩手では夜放送していた水曜どうでしょうを心の友に、受験期を駆け抜ける。その甲斐合って推薦で合格。結局受けることはなかった一般受験だったが、当時通っていた学習塾の講師陣が水曜どうでしょう好きだったため、水墨画で大泉洋を描き感謝の意を絵にしたためて学習塾卒業。岩手県が広すぎて通うことができない距離だったため、下宿しながらの個性溢れる面々と切磋琢磨したディープな高校生活を送る。両親が趣味だったレコードのジャケットが大好きで下宿の壁に飾りまくる。 デザイン・陶芸などを中心に学びつつも、将来はファッションデザイナーになろうと文化服装学院への進学を希望。高校3年生の時は勝手に送っていた全国ファッションコンテストで最終審査までいくも、賞へは届かない経験をする。2次元のデザイン画が表現できても3次元の立体での表現力が足りないのを実感した出来事だった。
専門学校・浪人時代 念願だった文化服装学院のファッション工科基礎科に進学するも、入ってすぐに理想とのギャップを感じ、1年次を終了して中途退学を選択。そのタイミングで3・11が起こる。学校の中で待機している学食で流れていたテレビに母の職場周辺が流されているのを見る。3-4日実家と連絡が取れずに友人や兄と共に安否を確認するために、車で岩手へ向かう。宮城県まで行ったところで、衛生電話で連絡があり生きていることがわかる。親から現場の混乱もあるからと言われ東京へ引き返した。震災後すぐの様子から美術やファッションと言った生きる上で絶対に必要ではない分野を生きることに葛藤を持つ。運よく自身も親族も無事だったことで、その道を生きることを進めと言われているんだと言い聞かせて浪人をスタートさせた。2度の受験を経て金沢美術工芸大学へ進学。 大学生・院生期 当時の美大は、24時間作ることができるユートピアだったため、畳を持ち込んでお風呂に入りに家に帰る以外は基本学校に住んでいたスタイル。最高の環境で没頭しのびのびと学べる環境だった。そこで大学1年の夏にEbRuも誕生。大学4年の時に卒業制作と神戸ファッションコンテストの最終審査が丸かぶりして、卒業制作×2の窮地も極限状態でなんとかやり切った。卒制は同率1位と神戸ファッションコンテストは特別賞でイタリア留学権を獲得。そして卒業後は靴やバッグといったアクセサリーを学びにローマへ。イタリア留学での何よりの収穫は、「感性や文化は自由に国境を超えるということ」を身に染みて感じることができたこと。また、ローマという場所にいたことが積み重ねた歴史を大切に守り遊ぶことを教えてくれた。現地で手漉き和紙に自分で染色した活版印刷の名刺を配る度に、日本の好きなところを語ってくれたイタリアの方々によって、日本にいるだけだと気づくことがなかった、海外で日本文化が愛されていることを実感したことが今日の事業へ繋がっている。卒業後は現地のテキスタイルメーカーでインターンを経て帰国。 --社会人になってから 日本で一度就活するも、自分でやったら?インドに行ってみたら?などとお祈りされ、共同創業メンバーと共に起業準備と欧州のファッションコンペの同時並行の挑戦をする。スタートアップスタジオも最終まで進み起業。ファッションコンペもワイヤレスイヤホンのアート作品で時計メーカーのSwatchから賞をいただくことができた。2021年に創業した株式会社EBRUでは、文化芸術領域の事業としても可能性を全方向から試みる会社として、ファーストプロダクトEARMINDを取り組む。目下、日本の工芸分野にフォーカスして事業を行っている。
先山 絵梨
Eri Sakiyama
CO Founder
1994年、愛知県生まれ
2017年に金沢美術工芸大学工芸科陶磁コース卒業
2018年にAmazing School JUR卒業
好きなもの・影響を受けたもの
音 楽:Oingo Boingo, Melanie Martinez, Evanescence, Lady gaga
映 画:ファイトクラブ、ロッキーホラーショー
漫 画:楳図かずお著作品、王家の紋章、ONE PIECE
その他:宇野亜喜良(イラストレーター)、Les Twins(ストリートダンサー)、Rachel Brice (ベリーダンサー)
Gian Lorenzo Bernini(彫刻家)、藤木稟(小説家)
--どんな子供だった?
体を動かすこと、絵を描くこと、本を読むことが好きな子供だった。
夏休みなどは神戸や徳島のお祖母ちゃん家で山と海でのびのび遊んで育つ。
小学校6年時、親の仕事の都合でインドのバンガロールへ。中学校2年まで3年間過ごす。
インドでは学校の美術の時間に教室で教師が好きな音楽(ボブマーリー)を流していることに衝撃を受ける。
部活として、アートクラブ、チェス部、ホースライディング部に入り、少しずつ日常会話程度の英語を覚える。
帰国後は、帰国子女を受け入れる中高一貫校へ入学。
--学生の想い出
OLになれるイメージが全く湧かず、絵を描くことが得意だったため、得意な事をやった方が生きやすそうだと思い、美術大学を目指す。
美術大学予備校で出会った先輩が作る作品や、平面も立体も学べそうなところから面白そうだと、工芸専攻を選ぶ。
石川県の金沢美術工芸大学に1年浪人後入学し、陶磁専攻を選ぶ。
作品を制作しているうちに、だんだんと陶磁の土の素材の他にももっと様々な素材を扱ってみたいと感じ、特殊造形に興味を持つようになる。
大学卒業後、東京の特殊メイク・特殊造形の養成学校「Amazing School JUR」へ入学。1年間樹脂やシリコンなどより多くの素材の知識を学ぶ。
--社会人になってから
養成学校卒業後、現代アーティストの制作アシスタントや、テレビCM音楽アーティストのMV・映画の撮影、大型テーマパーク等の請負造形会、ソフビ制作会社など様々なものづくりの現場でフリーランスとして働く。
どの現場でも楽しさと同時に様々な問題を感じつつ、目の前の仕事をこなす日々を過ごす。
美大で組んでいたマーブリングユニット「EbRu」を再始動するにあたり、ファッションコンペに出すなどし、紆余曲折あり三人で株式会社EBRUを立ち上げ、現在にいたる。
田邊 樹美
Jumi Tanabe
CO Founder
1991年、東京都生まれ
2017年に金沢美術工芸大学工芸科陶磁コース卒業
2021年までテーブルウェア商社の企画デザイン業務に従事
好きなもの・影響を受けたもの
ミューズ:Bjork
本 :今泉 吉晴訳「シートン動物記」、いしいしんじ「麦ふみクーツェ」、上橋菜穂子「守り人シリーズ」
鳥 :キジバト
--どんな子供だった?
父親の仕事の関係で幼少期にロシアに1年半住んでいました。マイナス30度の中でおままごとをしていたらしいのですが、寒かったという記憶はなくソリ遊びや野良犬と一緒に遊んで楽しかった記憶しかありません。
3人兄弟の末っ子で兄弟の中では一番自由に育てられました。事業として大きくはなかったですが、父親が起業しており、そういった背景は今に繋がっているかもしれません。
庭に梅の木があり野鳥がよくやってくるので、「はと吉」などと名前をつけていつも野鳥観察をしていました。
小さな頃から手を動かすのは好きで、工作や手芸は好きでしたが、決して器用ではなく、文章を書くのが一番好きで物語を空想しているような子でした。
--学生時代の想い出
もともと美大を志していたわけではなく、人付き合いが得意ではなかったので周りと違う自分を活かせる環境を模索しているうちに行き着きました。東京藝大を目指していたのですが3浪して受からず、工芸が盛んな金沢美術工芸大学に進学しました。自分の手の中で直接的に形が生まれてくる感覚が一番しっくりきたので、陶芸を専攻しました。
佐藤との付き合いは名簿順の席が隣同士だったことから。小さな大学だったので、佐藤の「さ」と田邊の「た」の間が誰もいなかったのです。そこから10年以上の付き合いになるとは…
大学時代は日本野鳥の会に入っており、ベテラン会員の足元には及びませんが野鳥観察は続けていました。
--社会人になってから
卒業後はテーブルウェアの商社の企画デザインとして4年ほど勤めました。陶磁器の一大産地である岐阜県の土岐や瑞浪に訪れたり、実際に自分でも石膏ロクロで原型を制作したりなどアナログな環境で、展示会運営や商品管理などもしていました。